Day4
2013.05.31
本日のルート
今日はウランバートルに入る日
ホテルチックイン後、すぐシャワー浴びたら、茶色の水が流れてくる。1回での風呂では落ちない
トランクの中までも砂だらけ
これで黄砂の原因が分かった。 なんとかしろよ、中国・モンゴリア
Sugiyama
第4日目、6月1日。5時に起床して日の出を見る。天気は快晴,寒くはなく涼しいという感じ。今日はゴビ砂漠のアルタンシレーからモンゴル高原のウランバートルまでの行程。これまでの2日間に比べて順調に進んだ。ラリーでは自分が走っている道が正しいか常に心配になり,昨日までは前後に車がなく,不安を抱えての走りだったが,今日は作戦を変えて,とにかく前の車についていくよう心掛けた。93番もベントレーで馬力があって早いので、これに何とか付いていけばその前の車をキャッチすることができる。道が正しければ引き返すロスも少ないので,大幅に時間を短縮できる。こうして明るいうちにチンギスカン・ホテルに到着した。
ゴビ砂漠のゴビは「窪地」を意味すると言われるが,実際に砂漠の中を走ると,行けども行けども砂漠があり回りに小高い山がある。その小高い山をすぎると,また砂漠があり回りに小高い山があるという風景。1907年の第1回北京パリのラリーでイタリアのボルゲーゼ公は,砂漠の中の電信柱を頼りに走ったと言われているが,まさに空と雲と砂漠の大地と電線しかない世界だったようだ。今でもこの光景はそんなに変わっていない。
モンゴル高原に入るとだんだん気温が下がり,山には残雪が見られるようになる。そしてこれまでの禿げ山から木の姿が見られるようになり,やがて高度1200メートルで盆地状のウランバートルに到着する。ちょうど夕方のラッシュアワー時で車の渋滞があったが,どの車も新しいというのが記憶に残った。経済が急速に発展しているのだろう。
今日は一日砂漠の砂を浴びたので,細かい砂が体中につき,また車の中やバッグ類の中にも入り込んでいる。それもあって明日の休養日にはバッグの中の物を整理し直す予定。
2日目、3日目と書き込む時間がなかった(夜になってホテルに着いた)ので,明日(6月2日)に,遡及して書く予定。
Chikushi

広大な砂漠
車内はもちろん、トランクの中まで
泥だらけ
テントレストラン
食事の種類は豊富
モンゴルでは羊毛産業が盛んなため
羊食は出なかった
キャンプ地のトイレ
撤収後は埋めるだけ。風通しの良いトイレだが、とても臭い。
外人どもは、何を食っているのか?肉食系は臭いと聞いた事がある
ちなみに、私(杉山)のはハーブの香りと言われた
キャンプ地
動物の糞が一杯であるので、テントを設営する際は、先ずは糞掃除からである
故障中
皆がいる所での故障、運が良い方である
全てが写真のような状態
砂漠のデコボコ道
ウランバートルに向かう前の記念撮影
スタートは常に最後の方である
まずはウランバートルに向けて、加藤チームスタート
この時は快調で、ウランバートルでは市内観光をする余裕
岩崎チーム (別名暴走老人)
凄い勢いで突走る
岩崎サンは歩く時も早足である
前方で、北見チームはスタート順番待ちこの悪路を競わせるのだ
トイレ探しにさまよう弁護士?
いや、スタート状況を見に行っていました。
スタートの列
彼は何を訊いているのでしょうか?
ちょっと用足し
年なもんで、又寒いし
Moive
Peking to Paris Motor Challenge 2013 #94 Sugiyama&Chikushi
杉山・筑紫チームのユーラシア大陸横断記「4日目」です。
次の動画は「9日目」です。
Ulaan Baatar ウランバートル(モンゴル・トゥブ県)
通貨 | トゥグルグ |
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1トゥグルグ= | 0円(2025年4月24日現在) |
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緯度 | 北緯47.9°(ミュンヘンと同じくらいの緯度) |
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経度 | 東経106.9° |
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年間日照時間 | 2794時間(東京は1881時間) |
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年間降水量 | 216mm(東京は1529mm) |
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<ウランバートル>
モンゴルの首都で中央(トゥブ)県内に位置するが、行政上は特別市となっています。
人口は1221000人(2012年統計)で、同国の人口のおよそ半数近くが集中する極端な一極集中となっています。名実ともにモンゴルの政治・経済の中心地で、中国からロシア(欧州)に至る国際鉄道の主要な中継地です。
旧ソ連時代を彷彿とさせる町並みの中に、ガンダン寺や民族歴史博物館などの観光名所が点在しています。気軽には入れるカフェやビアガーデン、レストランやディスコなど、大都市ならではの楽しみがあります。

http://mn.wikipedia.org/wiki/%D0%A4%D0%B0%D0%B9%D0%BB:Ulaanbaatar_(2).jpg
引用元:wikipedia http://mn.wikipedia.org/
<街並み>
都市計画は、政府・党関係の公共機関とソビエト式アパート、広い道路などが計画的に配置された完全なソ連式ですが、中心部の道路は上空から見ると、差し込む太陽の光とゲルをデザインしたユニークな構成となっています。ソ連式都市計画の特徴として、いわゆる繁華街というものが存在しない構造になっていますが、市場経済以降後は土地の占有権(最近は郊外にかぎり所有権も)が解禁されたこともあり、建物の1階部分を改造しての商業化が行われています。建築は、機能的なソビエト・スタイルとパステルカラーのロシア古典様式が中心ですが、中ソ対立以前に建てられた現代中国様式や、ソビエト・スタイルにモンゴル独自の意匠を組み合わせた特異なデザインのものも見られます。首都建設の初期には、スターリンとの密約によってシベリアから移送された日本人強制連行者が活躍しました。強制連行された日本人により建てられた多くの建築は現在でも現役で使用されています。地震がほとんどないため、工法はレンガを積んだりパネルを組み合わせたりするだけで鉄筋が入っていないケースが多いです。
かつては自動車もほとんど走っておらず整然とした美しい街並みでしたが、市場経済化以降は違法建築や看板の乱立、自動車の増加によってその面影はありません。最近では、中華人民共和国・内蒙古自治区出身のモンゴル系中国人や朝鮮人が商店や食堂を経営するケースが多く、場所によっては漢字やハングルばかりの街並みも珍しくありません(近年の運動により、英語以外の外国語看板はキリル文字表記の看板に掛け換わりつつあります)。
同時期の郊外では、やはり富裕層向けの戸建ての個人住宅のほかに、元牧民が住み着きスプロール化した「ゲル地区」が広がりました。当局の許可は得たり得なかったりですが、遊牧用住居のゲルを据えつけて住みつき、やがて木造建築、最終的には煉瓦作りの建物に建て替えていきます。暖房手段は石炭ストーブで、特に断熱効率が低い木造建築で大量の石炭を消費し、それが大気汚染の原因となりました。都市インフラが後追いになり、下水とゴミ処理にまつわる衛生上の問題が発生しています。モンゴル政府はゲル地域の土地を購入しそこでより小さい面積に高い建物を建てウランバートル市内の大気汚染を減らそうという計画が始まっています。

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:UlaanBaatar-2009.jpg
引用元:wikimedia comons http://commons.wikimedia.org/wiki/