レース記録

Day21

2013.06.17

本日のルート

今回のレース中で今日が一番暑い日であった。車内温度は50度、無論クーラーなどは付いてはいない、2台ある扇風機も稼働しない。
人間50度の中で運転を続けていると、もやーとしてきて眠くなるので
運転は1時間が限度であろう
ロシアの幹線道路は、都心部は片道2車線、郊外に出れば1車線であるが、センターラインは引かれてない。 但し、路肩は砂利道1車線分あるので何かと便利で
ブレーキ故障のとき、止まらなかったら砂利道に突っ込むことにしていたほどだ
この暑さの中またまた故障、幸い加藤チームが来て助けてくれた
加藤先生は人の身体だけではなく、車も直してしまうスーパー先生だ
その加藤車のブレーキに不具合が見つかり、皆んなより遅くホテルに到着
部品の手配をし、明日修理後再出発するとのことです
モンゴルでの故障(4日間費やす)と今回であるが、加藤先生の行動を拝見していると、全くめげず逆に楽しんでいるように見える
帯同者のフランス人のマークは優しい雰囲気を持ったイケメンだ

Sugiyama

サマラ発9時24分、天気晴れ、気温22度。昼には32−3度まで気温が上がるとの予想。暑い日になりそうだ。

サマラの旧市街を抜けてヴォルガ川とサマラ川の合流地点の橋を渡る。旧市街は帝政ロシア時代の瀟洒な建物が残っていて,歴史と町の繁栄を感じさせる。ただ惜しむらくは手入れが十分になされていないため古ぼけた感じを与える。とてもそこまで手が回らないということだろうが、折角の歴史遺産が活用されていない。

郊外に出て幹線道路に乗ると,大都会周辺のいつもの例で,分離帯付きの片側複数車線の高速道路になるが、これもやがて片側一車線の両面交通になって行く。そして舗装道路とがたがた道の割合が半々くらいの走りにくい道路になってしまう。

今日はサマラから南西の方向、サラトフ、ヴォルゴグラードに向かって走った。余談だが、六本木男性合唱団の公演が4月末にヴォルゴグラードで行われ,私は日程の都合が付かず参加出来なかったが,今日サラトフに来て、ここから南に500km行けばスターリングラードかと思うと,遅ればせながら合唱団を追いかけてきたような気分になった。(500kmといえば東京から大阪までの長い距離だが,ロシアでみればちょっと隣までという距離感)

今日のルートは幹線道路を出て,一般道路を走るというものだったが,トラックの交通量が少ないので比較的走り易い道だった。そこでいつものように85—90kmの巡航速度で走っていると,急にアクセルが効かなくなり、50km以上の速度になるとぶかぶか音がして,それ以上スピードを出せなくなった。

原因不明で立ち往生してしまったところに52番の加藤・オリエー・チームの車が走ってきて止まってくれた。状況を話すと二人ともすぐにボンネットの内部を点検し,特に加藤先生は車の下に潜って,ガソリンのフィルターのチェックをしてくれた。結局,原因はガソリンがフィルターの目詰まり等の理由で十分に送られず,それで加速が出来なくなったということだが、何回かの操作のお陰で目詰まりが解消し,元通りに力強く走れるようになった。

ラリーはタイムの短さを競う競技なので,加藤先生の時間を大幅に取ってしまって,申し訳なかったが,親身になって調整していただき,お陰で元の状態に回復することが出来た。大変感謝している。

サラトフの町には夕方5時頃到着したが、まだ日は高く,ヴォルガの中之島にある遊泳場は多くの人々でにぎわっていた。ヴォルガを渡る橋は2.5km位の長い橋だが,若者がゾロゾロと歩道を歩いていた。
サラトフは,ヴォルガの港町として栄えており,川沿いにはカフェや遊歩道があって市民の憩いの場になっている。ここでは夏は35度くらいまで、また冬にはマイナス25度くらいまでなるそうなので、1年間の温度差は60度になるわけだ。

今日は暑い日だった。外気温が30度以上だと車の中は50度近くなり、窓を開けても熱い風が入ってくるだけだ。熱射病にならないよう,こま目に駐車して,ジュース、水,アイスクリームを食べた。1日に8−9時間走る厳しいラリーだが,朝食と夕食を山盛り食べ,昼もアイスクリームを3個も食べるので,体重が減ったり疲れが出たりということはない。

明日はロシア最後の宿泊地ボロネジまで545kmを走る。少し曇りがちの天気であればありがたいのだが。

(参考:ロシアの時差について,モスクワ時間はGMT(グリニッチ標準時間)+4時間だが,モスクワのすぐ東の時差は+2時間になっており、これはエカテリンブルグ時間になる。モスクワ時間+1時間の時間帯はない。一昨日はウファ(エカテリンブルグ時間)からサマラ(モスクワ時間)に来たため,2時間の時差の調整が必要になった。)

Chikushi

加藤・オリエ・チームの修理作業に感謝。日中の一番暑い時間帯に、労を厭わず作業していただいた。車の下に潜っているのが加藤先生。ボンネットの内部を点検しているのがマーク・オリエ氏。

  • 加藤先生の動きは機敏だ。車の下にサッと潜り,すぐに起き上がる。マークとのコミュニケーションには言葉の問題があると先生は言うが,二人の息はぴったり合っている。

  • サラトフのヴォルガ大橋の上、ビキニ姿や上半身裸の若者たちがゾロゾロ歩いている。

  • 川岸の船着き場。川沿いにいくつもの桟橋がある。

  • 道路沿いのカフェ。ここでラリーのタイムチェックが行われる。たまたま88番の車が調子が悪くなり,修理をしている。

  • 幼稚園児の送迎の車。われわれが通りかかるとみんな一斉に振り向いてきた。中にはカメラを持っている幼稚園児もいた。

  • ホテルの駐車場は、見物人が多いため
    厳重警戒

  • いつも助けてくれる、93番もブレーキシャフトが折れたため、ジャッキアップ

  • ホテル前の教会
    すばらしい建物である

Moive

Peking to Paris Motor Challenge 2013 #94 Sugiyama&Chikushi


杉山・筑紫チームのユーラシア大陸横断記
本日の動画はございません。次の動画は「22日目」です。

Saratov サラトフ 

通貨ロシア・ルーブル
1ロシア・ルーブル=1.54円(2024年12月2日現在)
緯度北緯51.5°(ロンドンと同じくらいの緯度)
経度東経46°
ビッグマック指数ロシアでビッグマックは約112円(東京では通常320円)

<サラトフ>

サラトフは、ロシア連邦の都市。沿ヴォルガ連邦管区に含まれるサラトフ州の州都です。ヴォルガ川有数の河港を持つほか、鉄道が通る交通の要衝で、ソ連時代以来の工業、文化、教育の中心です。人口は873055人(2002年全ロシア国勢調査による)。
町の名はタタール語で「黄色い山」を意味するサル・タウ(Sary Tau)に由来します。
1590年、ヴォルガ川の舟運の警備のために、ヴォルガ川右岸に要塞が建設されました。ヴォルガ・ドイツ人の入植が進められた地域で、ドイツ人コミュニティーが存在しました。1870年に鉄道でモスクワと結ばれてから大きく発展しました。
初期の社会革命党(エスエル党)が、この街を活動拠点としました。ロシア革命後は、ソ連の航空機や宇宙開発に関する生産が行われていたことで、外国人の立ち入りが制限されていました。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:%D0%A1%D0%B0%D1%80%D0%B0%D1%82%D0%BE%D0%B2_%D1%81_%D0%92%D0%BE%D0%BB%D0%B3%D0%B8_(2012).jpg
引用:wikimedia commons  http://commons.wikimedia.org/

<経済・文化>

サラトフは天然資源や工業が豊かであるだけでなく、文化や科学研究の面でも豊かな街です。サラトフにはロシア科学アカデミーに属する6つの研究所、その他の研究所21ヶ所、19のプロジェクト研究所、サラトフ国立大学、サラトフ国立社会経済大学、ほか多くの科学技術系の大学や研究所があり産業を支えています。
オペラ・バレエ劇場(1962年)、音楽院(1912年)、サーカス、コンサートホール、博物館、ラジーシチェフ記念美術館(1885年)、多くの高等教育機関がある。サッカークラブ「ソーコル・サラートフ」を保有しています。
自動車工業、石油化学工業が盛んです。また、サラートフ航空機工場では多くの航空機が生産されました。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Saratov_Markthal.jpg
引用:wikimedia commons  http://commons.wikimedia.org/

明日のルート