レース記録

DayPre

2013.05.25~2013.05.27

本日無事に北京に到着。さすが中国は一筋縄では行かないところですね
先ずイミグレーションでは、女性係官がパスポートと私を何度も見比べていたので、なぜかなーとと思っていたところ、自分が昨日坊主になっていたのに気付いたので、髪をカットした仕草をしたので係官納得。 次に荷物を取りにシャトルに乗ってもなかなかドアが閉まらない、理由は中国人が押し合いへし合いで乗ってくる、最後の人が降りようとしない、昔、電車の屋根に乗っている映像をおもいだしました。ホテル到着後、主催者が勧めたホテル隣地のスーパーはひどく、生肉が台の上に並べられていたので、病院理事長から頂いた、インフルエンザ用タミフルを飲むべきだったと思った。
五十嵐サンは、ここでラーメンを食べたが、何ともなかったと言っている。
もっと良いスーパーに行くべく、フランス企業のカルフールに行ったが、食売り場で白衣を着た店員が通路に唾をしているのを見てびっくり仰天です

車は高級車がとても多いと感じる、特にワーゲンが多い。
運転マナーは悪く、割り込みがすごいので、明日からの運転は要注意しなくてはいけない。
明日は、11時に保税倉庫に車を取りに行く。

予備日2日目
本日の主なスケジュールは、筑紫のレポートをご覧頂ければと思います
車をピックアップ後、私の運転でホテルまで戻ってきましたが、道中危険割り込みだらけなので、こちらも負けずに割り込み阻止を、測りながらシャングリラホテルに到着。ナンバーが日本の英語ナンバーのためか、すんなりでしたね
中国ではこの手の車は珍しいのか、他の車から写真を多くとられましたので、まんざらでもなかったです

予備日3日目  5月27日
本日の行事は、筑紫レポートを参照願います
最終車両点検は、スムーズに終了。その後、体が大きくて腹が出て肩で息をしている最高責任者が来て、なんでこんなに荷物が多いのか?  軽くするようにとのこと
パンツ33枚ほかタキシードまで乗っているので、下ろすわけにはいかないと抵抗したところ、肩をすごめて立ち去った
彼の後ろ姿に、自分の体重を下げたらどうだと日本語で言い放つ
ブリーフングで特に興味のあった説明は、砂漠で就寝した後、靴を履くとき、必ず靴を逆さ間にすること、理由はさそりが入っている、又蛇にも注意だそうです
こんなこともあると思い、簡易ベットを積み込んだのではないか、重いのはしょうがない。 あの太っちょが・・
あとは、SOSとOKのステッカーが配られた、使用方法は道路上で駐車するとき、どちらかのステッカーを窓に貼れということ
伴走チームの紹介があり、医療・メンテ。総務・レスキューの総計
約25名
明日からは、ゴールまでのカントダウンがスタート
ではでは





Sugiyama

5月25日午後0時15分、北京に到着。天気は晴れ、気温摂氏28度。飛行機の窓から見ると、晴れとは言っても靄がかかって埃っぽく、視界がかなり悪い。しかし北京に向かう高速道路から見る緑は鮮やかで、初夏を思わせる。
本日の公式行事として、北京警察による交通ルール等の説明が午後1時から急遽行われることになったが、今日移動してくる人も多く、実際我々もホテルに入ったのは午後2時なので、出席できる人だけでよいということになった。明日は倉庫から車の引き取りを行う予定だが、我々はいきなり北京の混雑の中を運転することになる。

5月26日、天気は曇りのち小雨。気温は23度。今日は車の受取りの日。事務局のデスクで中国の運転免許証と車のナンバーを受け取る。10時30分にホテルを出発。全部で100チームの出場なので、4班に分かれて保税倉庫に向かう。
参加者に女性が結構多いのに驚く。事務局に尋ねると20人程度とのこと。奥さんもしくはパートナーが参加しているということだが,たくましいものだと感心する。
引取先は北京空港の近くで、ホテルから35kmの場所。ホテルから環状3号線と空港の高速道路を走る。帰りはこれを逆行するわけだ。
倉庫につくとクラシックカーがずらりと並んでいてまさに壮観。参加者は自分の車を見つけて、早速バッテリーを接続して、エンジンをかけ、出口で車の受取証にサインしてホテルに向かう。途中、ガソリンスタンドで満タンにし、水を買い込む。ペットボトル500mlで40本40元、1本1元で,約16円。
中国の道路の運転はなかなか大変だ。車線の急な変更や割り込みは当たり前なので,神経を使う。事故が起こらないのが不思議なくらいだ。でも,何とか無事にホテルに到着。ラリーの準備を開始する。

5月27日(月),天気は小雨のち曇り、気温25度。今日は10時から車検。ラリー事務局の担当者が来て,ライト、方向指示器、クラクションなどをチェッック。何時くるか分からないし,来てもゆらりゆらりとやっていて事務的ではないが,検査を受ける方も準備でやることが沢山あるし、そもそも楽しみながらやっているのだから、これでちょうどリズムが合うのかもしれない。日本人だと,車検なのでとつい構えてしまうのだが。
続いて必要書類のチェックとルートの説明書2冊および地図の交付。ルートはスタート地点からその日の目的地までの目印や右折左折が全て記載された詳細のもので,読み込むのが大変。地図も大部なもので,ナビゲーターはこれらを見ながらドライバーにルートの指示をするので,大変な役割だ。この3冊で一つの大きな荷物になった。
午後3時から説明会。ラリーのルートと各国の気候や道路事情、ラリーのやり方とタイムチェックの仕組み(この点については、これから追々触れていく)、GPS—GARMINの使い方,医療班(2班)からの説明、修理班(2班)からの説明,キャンプの設営等,2時間にわたって説明があった。これらの中身については、これから日々のブログの中で触れていきたい。
いよいよ明日,8時に万里の長城からスタート。1台目が8時で,30秒ごとに出発するので,94番の我々は8時45分発と指定された。これに向けて4時半起床、5時食事、6時ホテル発で第1日目が始まる。

Chikushi

買い物に行く途中に見た天安門広場。土曜日のせいか観光客が少ない。

  • ラリー事務局の掲示板。これから旅の先々でこれが情報源となる。

  • シャングリラ・ホテルの中庭。夕方の結婚披露宴の準備が行われている。

  • 大都会の中のオアシスでの優雅な披露宴。

  • 5月26日の事務局デスク。

  • 保税倉庫で自分の愛車を見つけ、みんな準備に余念がない。

  • ブリーフイングご、庭園で打ち合わせ

  • 23階より、我が車と北見・五十嵐チームを見る

  • 食事中
    カメラ持っている人は、写すばかしで
    自分は写らない 💢

  • 事務局のレスキュー隊。トヨタのランドクルーザーが主力。

  • 午後6時から事務局主催のガーデンパーティー

  • 車の準備。
    五十嵐社長に何かと手伝ってもらっている。

  • 午後6時から事務局主催のガーデンパーティー

Moive

Peking to Paris Motor Challenge 2013 #94 Sugiyama&Chikushi


杉山・筑紫チームのユーラシア大陸横断記「前日」です。
次の動画は「1日目」です。

Peking 北京

通貨人民元
1人民元=17.03円(2017年12月17日現在)
緯度北緯39.9°(秋田と同じくらいの緯度)
経度東経116.4°
年間日照時間2576時間(東京は1881時間)
年間降水量411mm(東京は1529mm)
ビッグマック指数中国でビッグマックは約272円(東京では通常320円)

<北京>

中国の首都で、全国の政治、経済、文化と国際交流の中心で、2008年には第29回オリンピックが開催されました。悠久の歴史と絢爛たる文化を持つ世界でも有名な歴史文化都市、古都のひとつです。
「北京原人」が住んでいたのは50万年前、紀元前1045年には現在の町の基礎ができました。その後、金、元、明、清時代と800年に及び首都として栄え、今でも残る皇室宮殿とその周りにできた独特の街風景は観光客を惹きつけています。
北京が都として初めて歴史上に登場したのは、約3000年前の周の時代(紀元前3000年頃)で、当時は薊(けい)と呼ばれていました。その後、春秋戦国時代(紀元前403~紀元前221年)には、「戦国の七雄」という強国のひとつ燕の都として発展を遂げました。元代になると、金代の城郭の北東部に新たに城が築かれ、大都と呼ばれる都に定められました。これが現在の北京の前身になったといわれています。
1368年、元を滅ぼして明を建国した太祖朱元璋は南京を都に定め、大都を北平に改称します。その第4子朱棣がクーデターを起こし、第3代皇帝永楽帝として即位すると、彼の拠点であった北平に遷都して北京と改称しました。
明を滅ぼした清も北京を都としたため、すでに800年以上も首都として発展を続けています。


http://ja.fotopedia.com/items/flickr-4498194542
引用元:Fotopedia

<万里の長城>

中華人民共和国にある城壁の遺跡であり、1987年に、その芸術的価値と歴史上の重要性などが認められ、世界遺産に登録されました。この認定は故宮や莫高窟などと同じ年で、中国でもっとも早い時期の認定になります。
2009年4月18日の中華人民共和国国家文物局の発表により東端の遼寧省虎山から西端の甘粛省嘉峪関まで総延長は8851.8kmとされていましたが、2012年6月5日に総延長は従来の2倍以上の21196.18kmと発表されました。現存する人工壁の延長は6259.6kmです。
万里の長城は、春秋戦国時代に北方民族の侵攻を食い止めるために造られました。はじめに造られたのはいち早く北方民族の動きを伝えるための狼煙台であり、その後、それを城壁で繋いでいきました。
万里の長城を修築した国家は20以上にも及びます。中でも有名なのは秦と明による修築です。各国を統一し春秋戦国時代に終わりを告げたのは、秦の始皇帝です。始皇帝は、春秋戦国時代に各国が造り上げた長城を、大規模な人員の投入で修築しました。
秦の次の漢の時代には西は河西回廊までのびました。そして後の明では嘉峪関から鴨緑江のほとりまで伸びました。今残っている万里の長城のほとんどは明の時代に修復した部分です。
現在、万里の長城は中華人民共和国政府によって重要な歴史的文化財として保護されており、世界遺産にも登録されています。世界有数の観光名所としても名高いですが、地元住民が家の材料にしたり、観光客へ販売するなどの目的で長城の煉瓦を持ち去り、破壊が進んでいます。また、長城がダム工事により一部沈んだり、道路建設により分断もされています。長城周辺の甘粛省や陝西省は、中華人民共和国でもっとも貧しい地域の1つで、当局は対策に頭を悩ませています。
2006年4月に行われた中華人民共和国の学術団体「中国長城学会」の調査によると、万里の長城が有効保存されている地域は全体の2割以下で、一部現存している地域も3割であり、残り5割以上は姿を消しているとの報告がありました。


http://www.kabegamilink.com/act/0608/02550.html
引用元:壁紙Link

明日のルート