Day24
2013.06.20
本日のルート
今日は、キエフのベントレーサービス工場に車を運ぶ日だ
8時にホテルを出発、到着は5時、約9時間の旅。 部品は英国から届いておらず、明日到着次第修理に掛かる予定。
道中はトラックの助手席で居眠り三昧、疲れているので良く眠れるが、時々自走している参加者の車を見ると、羨ましい限りである。
ランチはポーランドチームと運転手2人と一緒に食事をする。料理の注文は運転手と同じ伝統的な料理(ピロシキとスープ)にした。運転をしていないので、チェコビールを飲む、冷たくて旨かった
キエフの市街地に近づくと、近代的なマンション群が多く見られるようになってきた(日本では見かけない外観が印象的だ)
町並みは、軽井沢を大きくした感じで、看板も統一されていて気持ちいい(無論旗などは皆無)
高級車の看板は目白押で、特にクルザーの看板を多く見かけた。中心部に入ってくると活気があり、近代的ビルが建っている。 相当裕福な首都と感じる。
ホテルの眼下は大きな川が流れていて、おそらく黒海まで続いているのだろう
ちなみに今日のホテルは昨日同様に、満足の行くホテルである
明日の休日は、修理の進捗状況を監視しながら、市内観光をして見たいと思っているが、果たしてそんな余裕があるのかどうか??
無精ヒゲも相当伸びてきたので、整えるため散髪屋にトライしてみようかと思っている
Sugiyama
(フランスのトロアで追記しました。)
朝8時20分にハリコフ出発。気温は7−8度で快晴,さわやかな天気。トラックの荷台にベントレーを乗せ,我々は助手席の二つの座席に座る。トラックはMASという名前の白ロシア製で,居住性はあまり良くない。
ハリコフは学生の町で,中央広場には大きなレーニン像があり,その後ろにハリコフ大学がある。党の建物かと思うくらい大きく立派な建物だ。東ウクライナではレーニンが尊敬されているのが分かる(西ウクライナは反ロシアなので状況が違うという)。
ハリコフとキエフは,ウクライナ第2の都市と首都の関係なのでその幹線道路は他の部分に比べて整備されているはずだが,相変わらず広い道路や狭い道路,良い状態と悪い状態が交互に出てくる。しかしロシアと比べると補修が少しはしてあるので走り易く、また追い越し車線もある程度整っている。
同じ農業地帯が続くが,小麦は黄色になっており早い冬の到来を思わせる。助手席は高い位置にあるのでパノラマで周りを見る事ができる。耕作面積はこれまでの広大な面積から中規模のものに変わり。色々な作物と色彩が目に入ってくる。
農家の裏は木の柵で囲われていて,野菜や果樹が植えてあり,数匹の牛が飼われている。のどかな村の風景。
昼過ぎに道路脇のレストランで昼食をとる。ビールにボルシチ,ピロシキと地元料理を注文。ウクライナのピロシキは水餃子のようなもので,ひき肉や野菜を小麦の皮で包み茹でてある。食事の際に福島の原発の事が話題になった。ウクライナではチェルノブイリの事故があり,キエフの北わずか150kmの場所だというから,原発事故は大きな関心事なのだ。
ここまで順調に来たが,キエフに入って修理工場に入るまでが大変だった。ハリコフから来ると巨大な町なので運転手が道に迷ってしまい,時間をロスしてしまった。修理工場で明日の打ち合わせをし,荷物を工場の車に移し替えてホテルまで送ってもらい、やっとの思いでホテルに着いた。ところが、部屋のダブルブッキングで1時間近くフロントで待たされた。夜の9時過ぎに部屋に入ったが,食事の時間は既に終わっており,別のレストランで食事をして一息ついた。明日はエンジン部分の解体作業を行い、イギリスからの部品の到着を待って,ガスケットの交換,修理を行う予定。
Chikushi
いつかはこうなると予想していた姿
我々も助手席に同乗
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これから、約400キロ以上の陸送が始まる
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ポーランドのワルシャワチームの
ジャガーも同じ運命 -
道中99番の夫婦が、気の毒そうに覗き込む
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プロレスラーなみたいな人
人の顔を見ると、必ず社長と言う -
ポーランドの運命如何に?
人の事より、自分の事を考えねば -
途中のレストランで、運転手を交え6人でランチを取る
日本にはないような、洒落たレストランだった -
市街地に近づくと、高層マンションが目に付きだした
Moive
Peking to Paris Motor Challenge 2013 #94 Sugiyama&Chikushi
杉山・筑紫チームのユーラシア大陸横断記
24日目~31日目「修理・復活編」です。
次の動画は「33日目」となります。