レース記録

Day27

2013.06.23

本日のルート

現在の我々が置かれている状況は、筑紫レポートとおり・とにかく話しがクルクル変わってくるので
信用は出来ない。
今日も関係者に振り回せられるのであれば、ギブアップをする事を朝食時に皆に話をしたところ
参加者からは、出来る事は協力するから「絶対にギブアップするな」。北見さんからは、「おぶってでもパリに連れて行く気持ちだ」 岩崎様からは「金は心配するな」
五十嵐様からは、「部品さえ手に入れてくれれば、一晩かかっても俺が直すから」等の励ましを貰った
皆真剣な顔で言ってくれており、秋山さんなどは「杉山さんまだやる事をやっていないよ」
皆すごい人たちだ。

最終目的は、この息子をバンドーム広場にどうしてでも連れて行く事だ
過去に車を捨て、自転車でゴールした人がいると主催者は言っていたが、あくまでも94番でゴールする事しか考えていない。
修理出来ない場合のゴールの仕方は考えているが、あくまでも滑り止め案であって、あくまでも修理をする事を第一に考えている。
本隊がどんどん進んでいるので、正直なところ焦りがあるのは事実
昨日同じベントレー社で修理していた車が、我々より3時間早く目的地向け出発した
その後10時頃、道中で夫婦を発見、手を振って挨拶した。 今朝夫婦を探したが、車共見っからなかった。

部品が届かない理由
カード番号の手違いから、部品の発送が出来ていない事が分かる
再度カード承認を取り、部品会社は発送するもドイツフランクフルト止まり  なぜだ
部品会社は、我々に時間がない事は十分理解しているのに、なぜドイツ経由にしたのか?
dhl ではなく他の航空会社だってあるだろう💢
部品会社とベントレー会社が確認電話をしているが、何の確認しているのか?
増して、追跡伝票も貰っているのに・・
言葉が出来れば、怒鳴っているところだ
この程度の人を相手にしなければならない辛さ




Sugiyama

昨日夜,レンタカーでキエフからリヴィウに移動した。午後6時に出発して午前0時に到着、545kmを6時間で走ったことになる。道路と車(チェコのシュコダ)が良かったお陰で,休養の時間を確保出来た。

昨日の我々の計画では,車はベントレー社のキエフの代理店がダヴォスまで運び,我々はレンタカーで本隊と一緒に行動するというものだったが,昨夜の段階で,ウクライナとスロヴァキアの国境通過のためには,車の持ち主が一緒にいなければならないということが分かった。税関検査の観点から見れば当然のことだが,本隊から遅れまいという焦りからつい自分たちに都合の良いように考えてしまった。

従って,今日は本隊の出発を見送り,後はキエフからの車の到着を待って,一緒に国境を越え,本隊を追うことになる。みんなを見送るのは寂しいが,記念写真を撮ったりして気分転換をした。

昨日借りたレンタカーを返しに行く途中,警察官に止められ,免許証の提示を求められた。いつも持っているはずのものが,ホテルでの書類の整理でうっかり忘れてしまい,どうにも言い訳が効かなくなった。昨夕もキエフからの移動中に先を急ぐあまりのスピード違反で警察官に止められ,その時は当然免許証を見せた上に,杉山が機転を利かしてラリーの参加証を示し,急ぐんだというジェスチャーをしたところ事なきを得たが、今日はその参加証も通用しない。

罰金の金額を聞こうとするとこっちへ来いというのでパトカーの助手席に座ったところ、100と紙に書くので、100フリブニャ(ウクライナの通貨単位、1フリブニャは約13円)を渡そうとすると,違う違う、100ユーロだと言う。罰金を他国の通貨で払うのかと思わず耳を疑ったが,そういえば必ず車に乗れというので,他から見られないようにする必要があるのだろう。結局,二人の警察官の内職のカモになったということか。

車の到着までにはまだ十分に時間があるので,二人で旧市街を散歩する。戦争の被害を受けていないために町並みがそっくり残されており,多くの教会や市庁舎前の広場等すっかりヨーロッパの雰囲気だ。教会もカトリックの大きなカテドラルがある。同じような町の名前を上げるとすれば,ザルツブルグやハイデルベルグの感じだ。

歴史的にはリヴィウはポーランドやハプスブルグの支配下にあった時期が長く,ソ連の一部となったのは第二次大戦後である。従って,ウクライナの中でも東側はロシアに対して親近感があるのに対して,西側(その中心がリヴィウ)は反対の感情が強いと言われる。旧市街がこれまでのロシアの町と異なるのを見て,そのことを実感した。

市街は丘の上に広がっており,ウラル山脈以来7日ぶりに山らしいものを見た。気温は27−8度でやや蒸し暑いが,天気は晴れで日曜日なので,多くの市民が街に出て休日を楽しんでいる。街の人々や緑の公園を見ていると,こういう休日を楽しめるのも良いものだと、だんだん気分が晴れて来た。

Chikushi

リヴィウの市庁舎前の広場で。忙中閑あり,ではなく,他にやることがないので。

  • 杉山が注文したピザをその場でこねて作ってくれる。彼の目線がどこにあるかは想像にお任せ。

  • レストラン前で、結婚式を終えたカップルが記念撮影
    ここでもバックはクラシックカー

  • 北見・五十嵐チームの出発。本来,我々にもこういう姿が見られたはずだが・・

  • デザートはアプフェルシュトウルーデル。ドイツ,オーストリアの食文化だ。

  • 民族衣装で出発を祝う

  • この人もウクライナ美人
    それにしても、厚化粧だったなー

  • 出発出来ない為の、やけくそでは有りません。 このおばさん自分の胸に私の手を誘導し、その直後おばさんの手が私の
    あそこに・・

  • 加藤先生チーム出発

  • 岩崎・秋山チーム出発

  • 我々はレンタカーで追いかける
    20分も走らないうちに、スピード違反で捕まるが、北京パリと分かり解放してくれた

  • 北見住職もポーズ

Moive

Peking to Paris Motor Challenge 2013 #94 Sugiyama&Chikushi


杉山・筑紫チームのユーラシア大陸横断記
24日目~31日目「修理・復活編」です。
次の動画は「33日目」となります。

Kosice コシツェ 

通貨ユーロ
1ユーロ=169.25円(2024年5月8日現在)
緯度北緯48.7°(パリと同じくらいの緯度)
経度東経21.3°
ビッグマック指数スロバキアでビッグマックは約608円(東京では通常320円)

<コシツェ>

コシツェはハンガリーとポーランドの通商路上にあり、通商、工業で栄えた町です。14世紀には帝国自由都市の認可を受けています。旧市街には聖アルジュベタ大聖堂をはじめ、多くの教会や歴史的建造物が残り、当時の繁栄を伝えています。現在は首都のブラチスラヴァに次いでスロバキア共和国第2の都市であり、東部スロバキアの文化、産業の中心地でもあります。2013年の欧州文化首都にフランスのマルセイユとともに指定されており、さらなる文化的発展が期待されています。


http://en.wikipedia.org/wiki/File:102_0407.jpg
引用:wikimedia commons  http://commons.wikimedia.org/

<聖アルジュベタ大聖堂 (聖エリザベス大聖堂)>

1378年から1506年にかけて建てられたスロバキア最大のゴシック教会です。屋根はカラフルなタイルで装飾され、北の塔は高さ58.5mもあります。内装も見事で、特に聖アルジュベタ主祭壇が有名です。15世紀に制作されたもので、組み込まれた48枚の聖画には、コシツェの守護聖人聖アルジュベタの生涯が描かれています。これまで描かれたゴシック様式の絵画の中で最大の絵画、ウルム市の彫刻名人エルハルトの中世時代の木彫が所蔵され、11メートル以上の高さがあります。ハンガリーの偉大な指導者フランシス・ラーコーツィ2世の遺骨はこの教会の地下聖堂に埋葬されています。大聖堂の南には、同じくゴシック様式の聖ミハエル礼拝堂が隣接しています。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cathedral_of_St._Elizabeth_in_Ko%C5%A1ice.jpg
引用:wikimedia commons  http://commons.wikimedia.org/

明日のルート