レース記録

Day16

2013.06.12

本日のルート

今レースのスケジュールは、成績によって異なるが、朝7時スタート夜7時頃にHotel着である
朝7時スタートであれば5時頃に起きなければならない。7時頃Hotelに着いててからは、車の整備・食事などをすると、就寝は早くても11時過ぎになる。
睡眠時間が少ないので、皆さん相当疲れているようだが、陽気に振る舞っているのがなによりだ
当方は元々元気なので、長年の夢だったレースを楽しんでいる。
今日は、昨日と同じよなコースと景色を見ながらの運転、単調と寝不足が重なって、時々睡魔に教われることが多い。居眠り運転を避けるために、助手席から「眠くないですか?」と、声をかけながら運転交代をしている。運転者をチェックするのも、助手席の大事な仕事である。

今日92番が大事故を起こした。運転していた奥様は亡くなり、ご主人は軽傷です
相手のロシア人男性と子供は死亡、奥様は重傷との事でした
事故原因は発表されていませんが、恐らく居眠り運転と思われます

3カ国共通よもやま話
中国・モンゴル・ロシア(経過中)3カ国を走破しているが、道中で日本と一番違う点は、ドライブインがないこと。ロシアのガソリンスタンドは飲み物ぐらいは売っているが、中国・モンゴルのガソリンスタンドは、その手のものはない、当然トイレもない(あってもひどい)
生理現象に勝てないので、草原で行うことになるが、これが一苦労である
草原は風が強いため、慎重に風向きを確認してから用足しを行うが、途中で風向きが代わりシャワーを浴びるはめになることが多いので、並んで行うのは厳禁 (本件に付きましては日本人参加者と共通認識を持っております)
外人は並んで行っているが、大丈夫なのかなー
ちなみに、草原で女性の姿は皆無である。 北見サンは見たと言っています(チキショー)
感想を尋ねた所、下ろして、して、上げる 一連の動作が早かったと言っていました。

運転中にクラクションを鳴らしながら近づいて来る車が多い。目的は意識を引きつけようとすることと、写真を撮ることである。 中には割り込みんで後部席から写真を撮る、危険行為もある。
日本では経験したことがないため当初は、戸惑ったが今や馴れっこになった
行く先々のHotelでも、すごい数のギャラリーである
手を振られること、写真を撮られることの数の多さ、50年以上の我が人生で初めての経験(悪い気はしない・・)



Sugiyama

今日も8時21分スタート。快晴、気温10度。昨夕の激しい雨のためタイムトライアルは3つともキャンセル。一路チュメニに向かう。

オムスクの郊外に出て町を振り返ると,工場の煙突が並んでいた。新興国で100万都市ともなれば高層ビルがいくつかはあるものだが,ノボシビルスクにしろオムスクにしろ,そういうものはない。町で一番高いのは煙突であり,これだけ土地があるから,高層ビルの必要はないのだろう。

チュメニへの道筋には,荒れ地から耕作地が増え,近くの村が見え隠れするようになってきた。しかし放牧の様子は全くない。ところどころ白樺の立ち枯れが見受けられ,ちょうど松食い虫の被害にあった松林のような感じ。道路は良く舗装されている部分と,トラックの轍があったり穴ぼこが出来てまだ修理されていない部分があったりして,突然そういう状態になるので走りにくい。これがシベリアの幹線道路の実態だ。

何れにしても,昨日と今日で合計1200kmを走ったが,ほとんど同じ景色で全く山らしいものを見ない二日間だった。山を見るのがいつになるか,楽しみだ。

ガソリンスタンドで給油中にドイツ人が近寄ってきて,北京からの道はどうだったと聞くので,モンゴルが大変だったと答えると,自分たち二人は自転車でイルクーツク・バイカル湖からモンゴルに入り北京まで行く予定だという。ハノーバーから北京までの3ヶ月の自転車旅行だが,あなたたちはこれから道が良くなるが,自分たちはこれから道が悪くなっていくと笑っていた。耐久レースにも上には上があるものだ。

今日は幹線道路でラリー参加者の車とロシア人の車が衝突するという事故があった。夕食のときに主催者から,くれぐれも事故には注意してほしいという話があった。

(モンゴルの記録を早くアップしたいのですが,連日忙しいのに加えて,ネット環境が良くないので、なかなか思うに任せません。モンゴルの後半部分はもうしばらくお待ちください。)

Chikushi

道路工事の信号待ちのときに、村の三人娘がポーズをとってくれた。

  • 信号待ちの時間が実に長い。待っている車の列も長くなる。

  • 信号待ちの長蛇の列

  • 白樺の立ち枯れ

  • 相手先の事故車両を撤去

  • 信号待ちではなく、事故処理のための
    渋滞

  • 92番 原型がない

  • 現場は騒然としていた

  • 後ろのトラック運転手が、北京パリの車が事故していると教えてくれた
    無線のやり取りをしているらしい
    運転手からは写真をメールしてくれと頼まれた

  • 情報交換

  • 信号待ちをしているとやがて対向車がやってくる。この後,50台位が通りすぎるまで延々と待たされる。

  • 農家の様子。馬がのんびり草を食んでいる。

  • 同じく農家の様子。道路との間に小さな畑地がある。

Moive

Peking to Paris Motor Challenge 2013 #94 Sugiyama&Chikushi


杉山・筑紫チームのユーラシア大陸横断記「16日目」です。
次の動画は「19日目」です。

Tyumen チュメニ 

通貨ロシア・ルーブル
1ロシア・ルーブル=1.97円(2017年10月20日現在)
緯度北緯57.2°(モスクワと同じくらいの緯度)
経度東経65.5°
年間降水量457mm(東京は1529mm)
ビッグマック指数ロシアでビッグマックは約144円(東京では通常320円)

<チュメニ>

チュメニはシベリア西部の都市で、チュメニ州の州都です。トゥラ川の河畔に広がっており、モスクワから東へ2144kmに位置します。西のエカテリンブルクと東のオムスクの間にあたります。
チュメニはシベリアで最初のロシアの前哨であり、1586年、シビル・ハン国がロシアの攻撃を受けていた時期に、ロシア人の東方遠征を支援する目的で建設されました。
チュメニは常に「シベリアへの玄関口」として重要な町でした。トゥラ川の水路とウラル山脈を越えてきた陸路が交差する位置にあったため、チュメニは小集落から瞬く間に大きな交易都市・産業都市へと拡大しました。1885年にシベリア鉄道が開通したことも発展に拍車をかけました。チュメニ市の中心部には18世紀から20世紀にかけての都市拡大を物語る建築が数多く残ります。
1950年代にはチュメニ油田が発見され、大きな経済成長を遂げました。チュメニ油田は旧ソヴィエト連邦最大の油田であり、今もロシア国内の原油の約6割、天然ガスの約8割を産出しています。チュメニでは石油産業のほか、木材加工や化学工業なども盛んです。
水陸の交通の拠点でありウラル東部の広大な地域に広がる油田・ガス田の採掘の拠点でもあるほか、文化や教育の中心でもあります。チュメニ国立大学や、劇場、博物館などがあります。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:%D0%9A%D1%80%D0%B5%D1%81%D1%82%D0%BE%D0%B2%D0%BE%D0%B7%D0%B4%D0%B2%D0%B8%D0%B6%D0%B5%D0%BD%D1%81%D0%BA%D0%B0%D1%8F_%D1%86%D0%B5%D1%80%D0%BA%D0%BE%D0%B2%D1%8C_(%D0%A2%D1%8E%D0%BC%D0%B5%D0%BD%D1%8C)-2.jpg?uselang=ja
引用:wikimedia commons  http://commons.wikimedia.org/

<文化>

チュメニは西シベリアの芸術や娯楽の中心でもあります。ドラマ・コメディ劇場は早くも1858年に開設されて現在に至っています。そのほか人形劇劇場や青年劇場、チュメニ音楽ホール、チュメニ・サーカス劇場などもあります。チュメニ交響楽団もあり広く活動しています。
博物館・美術館も多く、チュメニ地方民俗博物館、チュメニ美術館が有名なほか、地質学博物館、医療史博物館、チュメニ農業アカデミー付属の博物館群、かつての商人の邸宅を開放した博物館などもあります。
チュメニは主に労働者の町であり文化人は多くないですが、長い歴史の中で多くの詩人や小説家を輩出してきました。国際的に知られる児童文学者ヴラディスラフ・クラピーヴィン(Vladislav Petrovich Krapivin)はチュメニ出身です。
またチュメニは多くのスポーツ選手を生み出した街でもあり、アイスホッケー、サッカー、フットサルのプロのクラブチームもチュメニを拠点にしています。年中使用可能な室内スケート場、室内サッカー場、テニス場などの他、冬季にはスキーなどのウィンタースポーツも盛んに行われています。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Tyumen_town_hall_July_2009.jpg
引用:wikimedia commons  http://commons.wikimedia.org/

明日のルート