レース記録

Day33

2013.06.29

本日のルート

今日はパリに向かう日だ
我が車の規定出発時間は午前10時23分だが、いくら直した車とはいえ自信は無いので、午前8時に
ホテルを出発。 案の定エンジンルームは色々な音の大合唱、下からは、なんだか分からない煙が出ている
何とか集合場所に行けば、レスキューユニットもいるので何とかなるとの思いで、40キロ走行を心がけ(制限速度130キロの道路を)ハンドルに頑張れと励ましながら慎重に運転
集合場所には2番手で到着(1番手はトラックに乗せて来ていた)
隊列は10台単位に組んで行うので、我々は1番手グループになることになった、従来は8番手なので
チョッッと気が引けたので、2番手グループの隊列に入って出発。
大きい日の丸を付けているので、シャンゼリーゼの信号待ち、、サントノ−レの渋滞時には日本人から
話しかけられ、写真を撮られまくられた。(いい気分だったな・・)
バンドームには着けば、大勢のギャラリーて大変な騒ぎになっている
特に我々の車は、外見がヨレヨレに加えエンジンが異常音を出しているため、ギャラリーの注目を集めたようだ
そんな中、我々も友人が用意してくれたシャンパンで、シャンパンシャワーをギャラリー共々と浴びる
正直パリ到着までは、こんなレースには2度と出まいと思っていたが、最後にスター級の扱いを受けると、また出たい気持ちになる(いたって単細胞なのだ・・)
これから打ち上げパーティーがあるので、33日間一緒だったタキシードを着るとしよう

追加の話
バンドーム広場で、1人の日本人男性から話しかけられました。
彼は我々のブログを見て、次回参戦したいので、我々から直接話を聞きたいとのことで、パリまで来たと言っていた。 
ちなみに、撮った写真は1500枚以上・ドライブレコーダーは自走分・その他ビデオ等を後日編集してブログに乗せますので、参戦予備軍の方は是非参考にして頂ければと思います。



Sugiyama

6月29日、トロア、雨。気温18度。
パリ入場の日。到着後はレポートを書く時間がないと思うので,予めトロアで書いておく。

午前6時、朝食のために1階に行くとシーンとして誰もいない。昨夕の喧噪が嘘のようだ。参加者にとって今日はパリに走るだけの日。しかし我々にとっては,本当にヴァンドーム広場まで行けるか,一抹の不安が残る。

5月28日に北京を出発して以来,中国、モンゴル、ロシアと何とか走り抜けて来たが,トラブル続きだった。折角の休養日も我々にとっては「工場日」だった。そして,6月19日、ウクライナのハリコフでついにエンジンがおかしくなり,自力での走行ができなくなった。ハリコフからトロアまで,ルートの三分の一は「車上生活」だった。

昨日,本隊と合流した時,多くの参加者から,ウエルカムバックと言われた。みんな自分たちも問題を抱えているから,自然と出てくる言葉だろう。何とかしがみついてここまで来た感じだ。

このラリーの目的は,パリに無事到着することだとみんが言っていたが,その言葉を今,噛み締めている。

Chikushi

シャンパンで乾杯

  • 凱旋門の集合場所に2番手で到着

  • 安堵した

  • バンドーム広場ゴール直前
    ダブルデッカーからの声援も凄かった

  • バンドーム広場前から歓迎の波

  • もう一度パレードしたい気持ち

  • 打ち上げパーティー

  • 打ち上げパーティー
    我々は3番テーブルだった

  • 会場の大型スクリーンにロゴマークが写しだされていた

  • お揃いのポロシャツの背には94番が

  • 大会主催者よりねぎらいを受ける

  • 満面の笑み

  • バンドーム広場
    工事現場はリッツホテル

Moive

Peking to Paris Motor Challenge 2013 #94 Sugiyama&Chikushi


杉山・筑紫チームのユーラシア大陸横断記「33日目」です。
次の動画はAfter「エンディング」です。

Paris パリ 

通貨ユーロ
1ユーロ=162.46円(2024年12月2日現在)
緯度北緯48.9°(バンクーバーと同じくらいの緯度)
経度東経2.4°
年間日照時間1630時間(東京は1881時間)
年間降水量650mm(東京は1529mm)
ビッグマック指数フランスでビッグマックは約583円(東京では通常320円)

<ヴァンドーム広場>

パリの高級ブティック街にある四角い広場で、テュイルリー宮殿の北、マドレーヌ寺院の東に位置しています。高級ブランドやジュエリーショップの立ち並ぶラ・ペ通りの始まりにある「ラグジュアリー」を象徴するような広場といえます。
ジュール・アルドゥアン=マンサールによる規則的な建築と、角のところで斜めになっているペディメントの仕切りとで、長方形のヴァンドーム広場は八角形に見えます。
広場の中央にはローマ風の衣装を身にまとったナポレオンの像が立つ円柱が立っています。
カトリーヌ・ドヌーヴ主演の映画のタイトルにもなっています。(『ヴァンドーム広場』 Place Vendome 1998年 フランス映画)
元々広場のあった場所はブルボン朝フランスの貴族セザール・ド・ブルボン(ヴァンドーム公)の屋敷がありました。後に建築用地として買い取られ、ヴェルサイユ宮殿などルイ14世の栄光を誇示する建築を手掛けたジュール・アルドゥアン=マンサール(Jules Hardouin-Mansart)によって、1685年に建設が始まりました。当初は図書館やアカデミーなどの公共建築物が広場を囲む予定でしたが、結局計画は中止となり個人の邸宅が建てられていきます。その後1702年に広場として敷設されました(完成は1720年頃)。
当時は他の広場と同じく、フランス国王(ルイ14世)の栄光を称える目的で作られましたが、その後時代がナポレオン1世、ナポレオン3世、パリ・コミューンへと変わるにつれて広場のモニュメントも変わっていきます。当初広場にはルイ14世の騎馬像がありましたが、フランス革命によって取り壊されます。その後時代は革命を経て英雄ナポレオンの時代に。広場にはアウステルリッツの戦いの勝利を記念して、ナポレオン1世の像とトラヤヌス記念柱を模した円柱(コラム)が建てられました。ナポレオン1世の失脚後、像は円柱から引き下ろされます。その後ルイ・フィリップ王やナポレオン3世によってナポレオン像が再建されますが、パリ・コミューンによって像は再び倒壊します。19世紀の後半、再び円柱と像が再建され、今では古典的な衣装を着たナポレオン像が円柱の上に立っています。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_Place_Vend%C3%B4me_Column-Paris.jpg
引用:wikimedia commons  http://commons.wikimedia.org/

<観光>

パリは「芸術の都」「華の都」などと呼ばれてその文化的影響を世界に与え続け、結果、世界屈指の観光都市ともなりました。そのために1989年の欧州文化首都に選ばれていました。
パリの街は、古い歴史を感じさせる街並みと近代的な建物の建つ新開発エリア、新旧両方の表情を見ることができます。建造物は、中世以前のものも残っていますが、第三共和政期のパリ改造やベル・エポックの建造物、あるいはフランス革命200周年期のグラン・プロジェの建造物など、各時代の世界の最先端のものが多くあります。美術館には、フランスで活躍した著名な芸術家の美術品の他、戦利品や購買によって収集された世界一級の収蔵物が並んでいます。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Paris-Arc-de-Triomphe001.jpg
引用:wikimedia commons  http://commons.wikimedia.org/