レース記録

DayAfter

2013.06.30

レース終了から1夜明けた午前6時に、我が息子の積み込み作業を見るためにバンドーム広場に赴くが
我々の車は午後になるということなのでホテルに引き上げる
ホテルロビーでは、続々と帰国する参加者と出会い、互いに健闘をたたえながら名刺交換などをしたが、中には目をウルウルさせていた人がいて、こちらもグッと来た。
又、ランチをとるため、シャンゼリーゼのレストランに行った所、レースの参加者夫婦から声をかけられ、ビールまでごちそうになり感激しとしをだった。。
皆んな33日間苦労した連帯感の余韻が残っているようだ。

本大会を振り返ると色々なことが思い出される。
中国では幹線道路以外は悪路の連続
モンゴルでは幹線道路が無いのだ(人口の85%がウランバートルに集中しているため作る必要ないようだ)ウランバートル以外は道は無く、輪だちのみ
この悪路で鍛えられれば、相撲が強くなるわけだ(悪路が存在し続ける限り、モンゴル力士は強い。 間違いない・・)
レースで重要なのは道を間違わない事で、自分の走っているコースが正しいかどうかの判断は、1 沿道に見物人が入るか否か、2 途中で故障している車が入るか否か、3 後ろから追い抜く仲間がいるか否か
この3点で判断するが、3点とも否で日暮れが近くなってくると、焦りまくるので、ついついスッピードを上げる事になる。 特に反対車線から参加者が走って来た時などは、アリャーである。
悪路でのスピードは車を壊す大きな原因だが、逆に主催者を喜ばせる事になる。(過激なコースを宣伝したい主催者・・デブめが)
我々の車も、デブの作戦に乗らされ、ブログで紹介した通りになってしまった。

次に、1日のスケジュールがとてもタイトである
予定走行距離が短い時は悪路、長い時は比較的に良い道である
毎日朝5時頃に起床、就寝は11時頃(我々はブログを書くので午前1時頃になるときがある)
睡眠不足のため居眠り運転対策が必要なため、助手席から運転状況をチェックしなければならないが、反面助手席では仮眠をとらなければならない。(助手が寝ている時が一番危険)
ベントレーは右ハンドル、道路は右側通行なので、助手席はセンターラインよりである、センターラインが引かれていないため、すれ違い時は緊張する
時々車が反対車線に入ったときなど、パートナーからの殺意を感じた時がある(笑)

昨晩(29日)の打ち上げパーティーは、7時半から11時ごろまで行われ、レースの映像(特に過酷なコースと故障車の映像が流され、大いに盛り上がった、その後各種表彰が行われ、加藤チームがトラブルを克服してゴールした賞を受賞した。(我々もそうなんだけど・・))
本レースを振り返って感じたことは、車の出場基準が無いことである。ビンテージカー(戦前の車)はともかくとして、戦後の車と70年代の車を一緒に競争させることである。
例えば、1953年のベントレー(4560CC)と1973年のメルセレス450SL(4500CC)を争わせる事自体に無理がある。
要は出場費用さえ払えば、どんな車でも出場出来るのだ。(最初にアナンスすべきである)
1975年型ランドクルーザーと、ロンドンを優雅に走るベントレーを、一緒の悪路を走らせるのであれば、ゴルフと同様にハンデを設けるべきである。
優雅なクラシッカーで出場しても、故障の連続では精神的、経済的の負担も大きい。 車がトラブれば、必ず人間関係もトラブルので、次回参戦を希望されている方は、先ずは車を選定することが最重要。
私からのアドバイスとして、80年代(今回80年代の車も出場)の4輪駆動をボデイーアップし、ラジアルタイヤを履けばトロフィー間違いなしである。
次回参加希望者は、今回大活躍した株式会社ガレージ イガラシの五十嵐社長にご相談される事を
お勧めいたします

昨晩(30日)日本人チームだけのパーティーを25名ほどで、ブリストルホテルで行われた。
自己紹介した後の関係者コメントでは、皆さんが一様に「日の丸を付けたヨレヨレの車が入って来た時は、涙が出た」と言ってくれた事と、私の友人等は「杉山のこんな笑顔は初めて見た」と言っていた。
ちなみに、レースは日の丸を背負っている訳ではないが、参加者が国旗を掲げ始めると、こちらも負けず掲げる事になってしまう(自然のムード)

スロバキアからフランスまで1300キロを運んでくれた運転手や、修理工場の親爺たちに、ゴールの写真を送る約束をしているので、帰国後感謝の気持ちを含めて送信したい。
最後にカーズのレスキューユニット皆様お世話になりました。

このブログには、1日平均約200回以上のアクセスがありました。皆様ブログをみて頂きありがとうございました。
次回参加者のためにも、帰国後ブログに写真とビデオを編集し更新して行きますので、参考にして頂ければと思います。
29日並びに30日の写真はフランス時間の今夕に更新いたします

仕事関係者の皆様、7月8日より出社いたしますので、よろしくお願いいたします。 


Sugiyama

2013年・北京パリ・モーターチャレンジに出場するきっかけとなったのは,2年前にNHK で放映された前回(2010年)の記録を見たことだ。杉山さんから,こういう企画がありますよと話を聞かされ,それでは私がナビゲーターとして一緒に行きますかと軽く答えたことから計画が本格化した。
今,このラリーが終わってみて,あの記録は一番厳しい部分を撮っていなかったなと思うとともに、でもこのラリーに参加して本当に良かったなと満足している。
いくつか気付きの点をまとめてみたい。

ラリーは,言うまでもなく,車の走行タイムを競い,目的地に着くことを目指すものだ。それにはそのための準備をする必要がある。
まず第一に、車を良く整備し,予備の部品等を準備すること。モンゴルの道なき道を走ったり、長距離を走ることになるので,ラリー後半になるとほとんどの車が問題を抱えてくる。毎日、到着直後に多くの車がジャッキアップしている。
第二に,ナビのシステムをしっかり用意すること,出来れば2種類のナビを持って見比べることができるようにしておくのが良い。事務局から渡されるガーミンのソフトにウエイポイントが入っているが,これは市販のナビの通りではない場合があるので,常に両者を見比べる必要がある。したがってナビゲーターの役割が重要だ。
第三に,目的地に着くことを目指すという意味では,車が故障した場合に一時退場し,修理をした上で再度出場して、最終的に6月29日にパリに到着することを目指すことができる。つまり,最後にゴールに着くことができれば出入り自由ということ。もちろん,ラリーの成績は付かないが。


ラリーでは長期間にわたりいろいろな局面が出てくるので,関係者や参加者とのコミュニケーションを良くすることが大事だ。
今回は日本人のチームが4組出場したが,毎日食事の度に情報交換をして大変参考になった。また,ラリー後半でベントレーの調子がおかしくなると皆さんがいろいろな形で助けてくれた。この助けが無ければ我々のパリ到着は無かったかもしれない。修理の度にいつも手助けしてくれた五十嵐さんをはじめ,北見さん、岩崎さん、秋山さん、加藤先生、細田さん(電話でフランスの工場主を説得してくれた)に感謝したい。
さらに、ラリーの期間中は,2人1部屋なので四六時中一緒にいることになり,人間関係がおかしくなってくる。こういうときに黙って話を聞くことが実に大事なことで,話をした方はこれである程度収まって、また明日からのルートに挑戦することになる。
次に,事務局やスタッフ,サポーターとの連絡が大事だ。彼らは情報を持っているし,我々を助けようと良く教えてくれる。日々のレポートに書いたが,道を外れるとすぐに駆けつけてくれたり,修理が必要になるとエンジンを見てくれたり,部品の調達が必要になるとロンドンに電話してくれたりと,本当にお世話になった。
さらに,他の参加者とのコミュニケーションによって,苦しいのは我々だけではないと分かるし,その時にどういう対応をするのか参考になる。84番のイギリスチーム、88番のオランダチームは堅実な走り方で,がたがた道では時速20km、高速で走れる区間では時速120−30kmと徹底して使い分けていた。時々話をすると彼らも94番の走り方に注目しているようで,一日の終わりに健闘を称え合った。

北京—パリのラリーの楽しみの一つは,日本人があまりよく知らないモンゴル奥地とシベリアが、どんなところかを知ることだろう。
モンゴルは,今回の旅行の中でやはり一番強烈に印象に残った。道路も気候も厳しかったが,自然が豊かで美しかった。人跡未踏の桃源郷のようなところが至る所で見られ,真っ青な空の下で,赤茶けた大地とその向こうにかすかに緑の平原が連なり,そういう景色が行けども行けども続いている。敢えて比較をすればグランドキャニオンのパノラマだろうが,人が近寄りがたい神秘さを持っている点が違うような気がする。
アルタイ山脈は,モンゴル、ロシア、中国にまたがる大山脈で、初めて見るその威容に感激した。シルクロードの北に当たるかつてのステップルートは,ロシア側からこの山脈の山間の道を通って,モンゴル高原に至り,オアシス沿いに東に進んで、中国北部,朝鮮半島に到達したのだろうか。日本に帰って先人の研究を紐解いてみたいと思う。
シベリアは広大だ。主要都市の間の距離が長く,道路事情が悪いので物流が上手く行かず,経済活動を維持して行くのは大変だと感じた。言って見れば,いたずらに国土が広く効率性の点で問題が多いのではなかろうか。ロシアでも都市への人口の移動があると聞いたが,農村が衰退しているのは日本でもロシアでも同じということか。
ウクライナ、スロヴァキアに入って,20世紀の歴史の現場を実際に見ることができた。弱小国の運命が大国のエゴによって振り回されたわけだ。歴史は繰り返すということはあってはならないと思う。

日本を離れて33日間、ラリー三昧の日々を送らせてもらった。このような日々を可能にしてくれた家族、友人、そして関係の皆さんに心から感謝したい。
ユーラシア大陸横断記をこれで終了します。お付き合いいただき,本当にありがとうございました。

Chikushi

参加者全員が勢揃い

  • だれが喋っているのでしょうか?

  • 北見夫婦と秋山夫婦

  • ご婦人方の早口トーク

  • ホテルの素晴らしい庭園

  • 1夜明けたバンドーム広場に、静かに止まっていた加藤車

  • 北見さんと菊池さん
    右側の方はお坊さんでは有りません
    パリ在住の旅行会社社長です

  • 筑紫さん関係のご夫人方と

  • 左側 北見夫人

  • 岩崎会長 動きすぎて疲れました

  • 左より
    五十嵐社長 北見住職 北見夫人
    フラッシュに利用させていただきました

  • 筑紫さんと秋山さん 後ろ姿は筑紫さんのお嬢さん、スイマセン後ろ姿で

  • 30日早朝 大型キャリアーで参加車を搬出していた

Moive

Peking to Paris Motor Challenge 2013 #94 Sugiyama&Chikushi


杉山・筑紫チームのユーラシア大陸横断記
「エンディング」です。

Paris パリ 

通貨ユーロ
1ユーロ=163.55円(2024年4月27日現在)
緯度北緯48.9°(バンクーバーと同じくらいの緯度)
経度東経2.4°
年間日照時間1630時間(東京は1881時間)
年間降水量650mm(東京は1529mm)
ビッグマック指数フランスでビッグマックは約587円(東京では通常320円)

<パリ>

パリは、フランスの首都であり、イル=ド=フランス地域圏の首府です。
フランス最大の都市であり、同国の政治、経済、文化などの中心となっています。また、ニューヨーク、ロンドン、東京などと並ぶ世界トップクラスの世界都市でもあります。
ケスタ地形を呈するパリ盆地のほぼ中央に位置し、市内をセーヌ川が貫いています。この川の中州であるシテ島を中心に発達しました。ルーブル美術館周辺の1区を中心として、時計回りに番号が渦巻状についています。数字がおおきくなるほど中心から遠くなります。
その形から、パリ20区は「エスカルゴ」と呼ばれています。
2012年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス、人材、文化、政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、ニューヨーク、ロンドンに次ぐ世界第3位の都市と評価されました。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Big_1330-Paris.jpg
引用:wikimedia commons  http://commons.wikimedia.org/